羽毛布団とアクリルたわしと

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 自分は中年ド真ん中の独身男なのだけど、それゆえか、世間ではわりと知られている知識がすっぽり抜けていたりする。聞いたことがある気はするけど、ちゃんと意識していないので知らないも同然、ということも合わせたら結構多い。
 つい最近まで、羽毛布団の使い方を間違えていた。毛布を体にかけ、その上に羽毛布団をかけていた。だが先日、とあるバイラル・メディアの情報で、羽毛布団は直接かぶり、その上に毛布の方が暖かいという記事を見てびっくりした。
 その晩試したら、本当だった。11月の時点では、上に毛布もいらないくらい暖かい。もっと寒い季節なら、毛布は体の下に敷いて羽毛布団をかぶる、が一番暖かいそうだ。

 
 僕がそれまでやっていた「毛布の上に羽毛布団」のスタイルは、母親譲りだ。子どもの頃からやっていたパターンを、何も考えずにただ続けていただけ。

 ただ厳密に言うと、守っていたのは「毛布の上に掛け布団」であって、この掛け布団は、昔は綿布団。長く使っているうちにだんだん中の綿がヘタってきて、ぺしゃんこの「煎餅(せんべい)布団」になる、アレだ。それが、柔らかく軽い羽毛布団が一般家庭に広まってきて、気がついたら自分もそれを使っていたが、使い方は綿布団当時のままだった、ということ。
 綿布団は形が崩れにくいから、直接体にかけると隙間ができやすい。だからまず柔らかい毛布で隙間をできるだけふさいで、その上に掛け布団、これが合理的だった。と言いながら、実際はそれでも隙間ができることが多く、特に寒い時には首にタオルを巻いたり、肩だけの補助寝巻きのようなものを着て防御することも普通である。
 しかし、「直接羽毛布団」を試してみると、軽いのに、その柔らかさによって隙間が自然に埋まり、熱が逃げない。寝返りを打って一時的に隙間ができても、すぐに体に密着し直してくれる。
 掛け布団は重くなければいけない、という固定観念が打ち砕かれた。重さより、フワフワ感によって密着することの方が有効だったのだ。──なんて、今頃かい!と笑われる可能性があることは充分自覚しているが。

皿のうえにいちごがたくさん

 
 それで一つ思い出したのが、食器洗いのことだ。
 自分は長らく、洗剤を含ませたスポンジなどで食器を洗っていた。誰もがやっていることだし、家で親もそうしていたし、というだけの理由である。だからこそ世の中には台所洗剤というものがあるのだし。・・・ただしアレには界面活性剤とか、下水処理場でも分解し切れない有害な成分が入っていて、環境に悪いという話だから、使うにしてもなるべく少なめにしよう、とは気にしていた。
 
 数年前、主婦の友達から、アクリル毛糸で編んだ食器洗い用の「アクリルたわし」をもらった。彼女の知人が趣味で作っているのをゴッソリもらったので、おすそ分けということで。
 早速それに洗剤をつけて使ってみたが、スポンジのようには泡立たない。
「使ったけど、あれは泡立ちがいまいちだね」と報告したら、「何言っているの。洗剤なんかつけないよ。そのまま拭き取ればいいのよ」と言われて面食らった。
 やってみたら、できた。少々力を入れて拭けば、きれいに拭き取れる。よっぽど付着物が固かったりする時は、一度目の粗いスポンジや普通のたわしなどで軽くこそいでからの方がいいが、それにしても洗剤はいらない。油の多い場合ならキッチンペーパーで拭いてから、とか。使い終わったあとは、水で何回かぎゅっと絞るだけ。
 今までやってきたことは何だったんだ、と思った。そもそも、洗剤会社が言う「汚れ」とは何だ。さっきまで口に入れていたものの残りに過ぎないじゃないか。あれが「汚れ」なら、俺は「汚れ」を食べてたのか?自然界にとってみれば、俺が使って流す洗剤の方が「汚れ」じゃないか!

海の中が泡立っている

 
 家庭の慣習というのは、子どもの頃に一番身近な「親」から始まり、世間の年長者の「常識」に促されて身につけていることがほとんどだろう。その中には、大人になっても役立つ知識がいっぱい含まれている。昔ながらの貴重な「知恵」もある。ありがたいことだ。
 けれど、年長者の知識/常識が、実は的外れだということも往々にしてある。一般にいう「時代遅れ」ということとは別に。
 「時代遅れ」は、ただ時代が変わってトレンドが変わった、だからそぐわない、という話だ。そぐわなくたってこっちの方が好きだ、と思えば、昔のやり方を続けたって人の勝手だ。だけど、年長者が、過去のその時代の制約の中で得た知識/常識が、そもそも間違いだったという場合がある。その場合は必ずしも、人の勝手、で済ませてはいられない。
 羽毛布団をかける順番なら、間違いであっても、それで損をするのは基本的にその人だけだ。対して、洗剤なんかなくたって食器は洗える、というのはいつでもどこでも「家庭の知恵」になるべきことで、「だってから使ってるから、使わないとなんだか清潔じゃない気がするから、これからも使いたい」というのは、理解不足というものだ。そこで言う「」は、実は特定の短い時代に過ぎなかったりする。日本で台所用の合成洗剤が庶民の家庭にも普及するのは、戦後になってからのことだそうだ。

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