知らない人に、財布から100円玉を出してもらうこと

開きかけの本

自分で本を作って売る

私の趣味は同人誌を売ることだ。同人誌とは、自分で書いたマンガや小説を印刷した本のことだ。素人が作った本は、本屋さんには置いてもらえないので、「同人誌即売会」というイベントで売る。そこではバザーやフリーマーケットのように、個人が小さなスペースを借りて、自分が作った本を売っている。

一番、大きなイベントは東京で開かれる「コミックマーケット」。「コミケ」と略されていて、テレビでもニュースに出るくらい有名だ。何十万人も人が集まる。売れるのは人気のマンガやアニメのキャラクターが出てくるエッチな本。何百冊も売って、大儲けしている人もいる。

私が作っている同人誌は全然ちがう。いまはミステリー仕立てのオリジナル小説の本を作っている。値段は1冊100円。ほとんど売れない。だから、地方の小さなイベントに「今日は売れますように」と祈りながら参加する。与えられた長机半分のスペースに、持ってきた布を敷いて、自分の同人誌を並べる。「もしかして、たくさん売れるかもしれない」と、いつも多めに本を持っていく。そして、パイプ椅子に座ってお客さんが来るのを待つ。

本棚の前に「ベストセラー」という看板

「この人は買ってくれるんだろうか』という視線

同人誌即売会にくるお客さんは、自分の好みの本を探して並んでいる本を見てくれる。自分の本を手に取ってもらえると心臓がバクバクして、その人の顔をジロジロと見てしまう。「買ってくれるんだろうか?」期待が膨らんでいく。その私の緊張が伝わるのか、お客さんはサッと読みかけた本を置いて、立ち去ってしまった。失敗した。自分が買う側にまわればわかることだが、ジロジロと見られるとプレッシャーになって本をゆっくり見ることができない。

そこで、私は三段の棚を設置することにした。そこに同人誌や売り込みのポップを飾る。私は棚の陰にかくれて、お客さんに観察しているのを気づかれないようにした。もちろん、実際には、棚の隙間からお客さんの様子をこっそり見ている。

私の本はどんなお客さんが手に取ってくれるんだろう。若い女性向けのミステリー小説のつもりだったけれど、50代くらいの男性も手に取ってくれる。謎解きものはファンが多いのに、同人誌の中では作品数が少ないので興味を持ってもらえることが多いのかもしれない。パラパラとめくって、そのまま置いて去ってしまう人もいる。「文章に魅力が足りないのだろうか」「文字が詰まりすぎていて読みにくいのだろうか」と思い悩む。

じっと椅子に座って耐えていると、私の本の中身をゆっくりと確認してから、「これください」と声をかけてくれる人がいる。大慌てで立ち上がって「ありがとうございます、100円です」と答える。その人は、カバンから財布を出して、100円玉を出してくれた。銀色に光る硬貨を受け取って、同人誌を渡す。

古いコイン2つ

たった100円玉、されど100円玉

本当はこのとき、買ってくれた人の肩をゆさぶって聞きたい。「どこが買う決め手でしたか?」「値段は安すぎますか?」「もっと分厚いほうがいいですか?」「次のイベントでも買ってくれますか?」「読んだら感想ください」などなど、問い詰めたい気持ちになる。でも、迷惑なのでグッとこらえて笑顔だけにする。同人誌即売会にくる人たちは、呼び込みやセールストークが苦手な人も多いので、あまり話しかけてはいけない。

受け取った100円玉を、自分用の硬貨入れにしまう。コインの種類別に整理できるプラスチックケースだ。100円均一で買った。このケースも、私の同人誌も100円だ。「たった100円」なのかもしれない。缶ジュースも120円だから、今日のこの売り上げでは買えない。印刷代もかかっているから、利益はほとんどない。

でも、自分の書いた小説のために、知らない人に財布から100円玉を出してもらうのは簡単じゃない。いつも、この100円で「ああ、小説を書いていてよかった」と思う。

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