映画評『プロメテウス』 人類の「起源」を求めて「末路」を得る旅

巨大な岩山が連なる荒れた大地に豆粒のような人間2人

 SFに、科学の進歩に対する「恐れ」がなければ単なる絵空事になってしまう、と言ったのは黒澤明だ。その観点から、黒澤はA・タルコフスキーの『惑星ソラリス』を「怖い映画だ」とほめたのだった。『ソラリス』は未来を、ディストピア(ユートピアの反対、人間が人間らしく生きられない暗黒の世界)のように描いているわけではない。だが、観る者にふるさと地球への郷愁を呼び起こさせながら、「人間」自身のこともまだわかっていない人間が「宇宙」へ飛び出してどうするというのか、と問いかける。人間のごうまんを叱るような、哲学的な映画である。

 

 2012年のSF映画『プロメテウス』は、そんな哲学的な難しい話でなく、ドキドキハラハラしながら楽しめるエンターテイメント。でも、実はこの作品にも、「人間」をめぐるけっこう深い問いが隠されている。
 この映画は、『エイリアン』の監督リドリー・スコットが、『エイリアン』の前日譚、または背景にある物語として企画したもの。別の監督で『2』『3』…と作られていった地球人VSエイリアンの続編シリーズとは趣旨が違う。エイリアンも登場するけれど、それよりもそれを作った宇宙人たちに焦点を合わせているのだ。

 冒頭に登場するこの宇宙人の造形に、僕はビクッとした。地球人より一回り以上でかいけれど、作りはほぼ一緒。全体真っ白なその体は、ヘラクレスとかダビデ像みたいに筋骨隆々でたくましい。彫りの深い顔で、黒々と深い眼光が相当に高い知能をうかがわせるが、同時に何か冷酷な感じもする。異質さと同時に、何か人間の原始的な本性そのものに出会ったような奇妙な懐かしさを覚える。
 ネタばれになってしまうが、実はこの宇宙人たちこそは、地球人の遺伝子的祖先。地球人は、宇宙人がまいた種が育った種族だった、という設定なのである。
 主人公を含む地球の学者チームが、この宇宙人の痕跡と人類の起源の探索のためにある惑星に向かう。主人公はいまだ見ぬ彼ら宇宙人を、憧れと敬いの気持ちを込めて“エンジニア”と呼ぶ。技術者というより「創造主」、あるいは「宇宙の構築者」とでもいうニュアンスで。 

 

 確かに彼らは、ある種地球人が仰ぎ見る高次の存在だ。しかし、その高次の存在は何をしているか。エイリアンという、最強最悪の生物兵器を生み出して、おそらくは様々な惑星を侵略・支配する道具として使っている。彼らは無敵だ。だが、どうやらミスを犯したらしい。彼らが作った地球人が、彼らの意に沿う作品にならなかったらしいのだ。それで彼らは地球に対して、ある修正を企てている。
 その事情を知らなかった主人公たちは、たどり着いた惑星でひどい目に会う。「エンジニア」は思いはせていたような、人類を導く神のごとき存在ではなかった。ギリシャ神話の神プロメテウスは人間に「火」を与えてくれたが、ゼウスから罰せられても人間をかばい続ける。だが『プロメテウス』の宇宙人たちは、自分たちのことしか考えていない。地球人に対して、愛情のかけらも持っていない。惑星でただ一人生き残っていた生身の宇宙人(おそらく精鋭の兵士)との対面によって、それは決定的に明らかになる。
 高次の文明を持つ宇宙人が地球人を劣ったものとして見下すという設定は、過去のSFでもしばしばあった。ただ『プロメテウス』の宇宙人の場合、見下す対象の地球人は自分たちの遺伝子を受け継いだレプリカのようなもの。彼が地球人たちを見て少し当惑しながら、けがらわしいものを見るように冷たくにらむ表情は印象的だ。どこか近親憎悪の気分も働いているような。

黄金色のひび割れた不気味な卵4つ

 だが逆から言えばこの宇宙人は、言わば地球人のなれの果てではないだろうか。設定としての話ではなく、映画が言いたいこととして。言わば主人公たちは、人類の「起源」をさがし求めて「末路」にたどり着いてしまった。われわれの文明が科学の発達によってどんどん進化していく、その先にあるのがこの宇宙人の姿かもしれない、という。
 僕が最初に彼ら宇宙人の造形を見て受けた衝撃の意味は、それなのだ。彼らはまるで、人間のある種の欲求を純粋に磨き上げていった先に行き着く、究極の存在のようだ。つまり、彼らの進化とは、「純化」とイコールであるような進化ではないか。
 彼らはひたすら強さを求めたのだと思う。強くなければ厳しい宇宙を生き抜いていけない。強さこそが神であり、神に近づくために科学を発達させ、その科学を倫理より上の絶対のものとして自分たち種族を律し、高度な文明力を手にした。おそらくその過程では何度も危機に瀕(ひん)し、内部の分裂や抵抗を押さえるためにすさまじい犠牲を出しながら、強い者だけをかけ合わせ、培養するように、自分達を鍛え上げていったのではないか。卑近なたとえで言えば、ナチスの理念を突き詰めていったような文明。
 エイリアンはそんな彼らの力の象徴だろう。単なる兵器ではなく、彼らの文明理念の結晶であり、一つの信仰でもあるような。 

 

 主人公たちが探索中、“卵”の貯蔵庫に辿り着くシーンがある。『エイリアン』でも似た有名なシーンがあるが、『プロメテウス』ではもっと手が込んでいる。モアイのような巨大な宇宙人の顔の像が正面に置かれ、H.R.ギーガーのデザインによる獣骨のような柱に囲まれた漆黒の壁面に、手を広げたエイリアン(成体)の姿が刻まれている。まるで宇宙人を全能の神、エイリアンを天使に見立てた宗教画のように。なんというか、暗く巨大な自意識に基づく世界観が、まんま表現された空間なのである。「純化」の先にある「死」まで。
 もちろんこれは僕の深読み、というか妄想である。だがこの宇宙人の姿、その文明は、そんな妄想をかき立てる。はたして、これが地球人の進むべき道だろうか?そうだと思う人はまずいないだろう。だが、われわれは知らず知らずそちらに向かっている。神となった宇宙人たちが、自ら作った天使・エイリアンによって追い詰められていくのと同じように。
 『プロメテウス』はSF映画ならではの「想像をかき立てる楽しみ」が詰まっていて、いろいろな読み解き方ができる作品だ。でも肝心なのは、これも『ソラリス』の系譜に連なる、「恐れ」を描いた映画であることだと思う。その恐れが、最後に人間の良心にたどり着くところまで。

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