「カワイイはつくれる」かもしれないけど、評価しないでほしい

筋肉

ごきげんよう。ウェトリヌッテです。

外見について悩みを持っているというひとは少なくないように思います。
私もちょこちょこあります。

(ブーツッブーツッ♪とBGMにあわせてライ○ップで結果にコミットしてみようかなぁ…)

なんてCMみながらつい思っちゃったりね(お金ないから通えないけど)。

でも次の瞬間には疑問がわいてきます。

(なにも熊と闘うわけでもないし私の人生で割れた腹筋なんてあったからとどうするの?)
(じゃあ、私はなんで割れた腹筋(シックスパックってやつ)に憧れ(あこがれ)るの?)

まったく必要でもないのに憧れたり、それがないと恥ずかしいような思いにさせられるのは、割れた腹筋がステキ、ぷよぷよしてたり、ぽっこりしたお腹はみっともない、と社会がうるさく、しつこく言ってくるからにすぎません。

同じように他の外見の悩みについても、実は私自身のカオやカラダに原因があるのではなくどうやら社会のほうにありそうです。「美の基準」とやらをつくって押しつけてくる社会です。

テレビや雑誌、電車の中吊り広告、いたる所に「モテるカオ」、「モテるカラダ」「モテるファッション」が登場して、最新のダイエット方法や腹筋の割り方から、アンチエイジング、小顔に見せる自撮りのコツまで「美」に関するさまざまな情報が紹介されます。プリクラは「美白」、「美肌」、大きな目とかどれだけ「盛れるか」を売りに色んな新機種が次々と登場。
ネット上では芸能人の誰々が「劣化」しただので盛りあがります。まるでモノ扱いです。老化するのは生きている証拠(しょうこ)です…
そこには「美しさ」や「モテ」をめぐって莫大(ばくだい)なお金が出入りする市場があります。
「そんな見た目じゃみっともないよ」、「モテないよ」、「ダサいって笑われるよ」、とそそのかしてお金もうけをする人たちがたくさんいるということです。

自分のカオやカラダについてどんなありようでもそのままで満足していいはずだし、また、「もっと、こうなりたい」と憧れを持って努力することが悪いとも私は思いません。
メイクしたり、好きな洋服を着て楽しい気持ちになれるのはステキだと思います。
でも、笑われるのが嫌だからメイクを頑張らないといけない、着る服を選ばなくちゃいけない、という気持ちにさせられると、ステキなことが一変して窮屈(きゅうくつ)になってしまします。

体重計に乗っている足

本来、個人が好きに選んでいいことなのに社会からのプレッシャーを感じると自由な選択がむずかしくなります。しかもどんなに頑張ってもプレッシャーが消えることはなさそうです。
なぜって…

痩せろ!と言われて頑張ると、今度はガリガリで不健康そうと注意され、
鍛えろ!と言われたかと思って頑張ると、今度はマッチョきもいなんて言われ、
劣化したと言われないために頑張ると、今度は若作りしすぎでイタいとあざ笑われ、
セクシーさがないと言われて色気を出そうと頑張ると、今度は清楚な方がいいと苦い顔をされ、
スッピンなんて見せるなと酷いことを言われてメイクを頑張ると、今度はメイクが濃くて嫌だ、もっと“ナチュラル”にしろと指導されて、
そしてこうやって外見についてうるさく言われまいと頑張ると、今度はなんと見た目ばかり気にして浅はかだ。中身がともなっていないとモテないと叱(しか)られる・・・

こんなふうにどこを向いても無理な注文がつくのですから。見た目に加えて、「ふるまい」から性格までモテの基準で評価されます。
こういうプレッシャーが特に女性に対して強くあるというのはたぶん説明いらないでしょう。女性のほうが男性よりも外見や「かわいらしいふるまい」で評価されることは、仕事や勉強で男性と同じことができても同じように評価されないことと実は関係しています。どちらも女性差別として現れています。

こんな差別はダメだと思いますし、そもそも外見だけでなく仕事や勉強といった能力も含めて、そうやって人を評価したり、人から評価される社会(「能力主義」という言葉でいいあらわされたりします)はとても生きづらいと思っています。
変わるのにまだまだ時間はかかるのかもしれません。それまでは自分が人をそんなふうに評価することをやめること、自分が評価されることに「やめて」と言いつづけることは大事だなと思います。

原稿はここまでにして自分のひきしまっていないお腹をいとおしくなでながらビールのみます。
でわ、また。

CC BY-NC-ND 4.0 This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivatives 4.0 International License.