石田純一氏、公務員失格!? その理屈がひどすぎる!

東京・西新宿の高層ビル街 右に東京都庁のツインタワー

 参議院議員選挙の投票日の前日である2016年7月9日、「愛国を考えるブログ」というブログで、以下のような投稿がなされていました。「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べるブログ」とのことです。

「石田純一は都知事選に出るならば自分の子どもを死なせてからにせよ」

 なお、私自身、石田純一氏に関しては、好きでも嫌いでもないし、関心もほとんどないことをはじめに断っておきます。

石田氏がダウン症の子どもを抱えながら都知事選に出馬するのは自分勝手か

 

翌日が参院選だが、東京都知事選も大変盛り上がりを見せている。そんな中「不倫は文化」という発言で有名な石田純一が野党統一候補ならば都知事選に立候補をすると発言して話題になっている。いきなりこんなことを言うからにはそれなりの打算があってのことなのだろうが、所詮は泡沫候補となるのがオチだろう。それ以前の問題としてもしも都知事になりたいならばまずは自分の子を死なせてからにするのが筋であろう。
 

 このブログ主は、石田氏が都知事になりたいならば、自分の子どもを殺せと言っているわけです。なぜでしょうか?

 

石田には東尾理子との間に子供が1人いるが、そいつはダウン症である。つまり育てるのにカネがかかる。東京都知事は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない。だからこそ無駄遣い以外の何物でもない子供は死なせるべきなんだ。無駄な医療費を使わなくて済むのだからこれは国家に対する重大な貢献となる。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない。
  

 ここで、「子どもを殺せ」という理由が述べられています。まとめると、以下のようになります。

 - 石田氏の子どもはダウン症である。
 - ダウン症の子を育てるにはお金が多く必要である。
 - 都知事は公務員である、公務員は無駄遣いをしてはならない。
 - ダウン症の子どもを育てるのはお金の無駄遣いである。
 - よって子どもを殺すことは国家に対する大きな貢献である。

 

障害のある人を生かしておくのは、お金の無駄遣いであるか

 
 ブログ主が述べているように、たしかに「ダウン症の子を育てるにはお金が多く必要である」でしょう。さらに、多くのダウン症の方々が、いわゆる生産活動にたずさわっていくには難しい現実があります。
 
 しかし、だからといって、「ダウン症の子どもを育てるのはお金の無駄遣いである」のでしょうか。「石田氏には、ダウン症の子どもを殺してこそ公務員になる資格がある」のでしょうか。
 
 これは何を行っているかというと、ダウン症の人というひとりの生命と、その生命を生かすために必要なお金とを秤(はかり)にかけているわけです。そして、ダウン症の人ひとりの生命よりもお金のほうが価値があるからこそ、「お金の無駄遣い」であり、「子どもを殺せ」という話しになっているのです。
 
 そもそも、この話しは、誰かの生命と何かとを比較して、秤(はかり)にかけようとしていることがその内実です。言うまでもなく、誰かの生命はその誰かによってしか生きられないという事実があるわけで、文字通り替わることのきかない、掛け替えのないものです。誰かの生命の価値は、それじたいとして、他のどのような価値にも替えることができないものなのです。誰かを生かしておくことが「お金の無駄遣い」であるかどうかということは、誰かの生命の価値とお金の価値とを比べようとしていることですから、そもそも、これは生命の掛け替えのなさという事実に反するものです。

夕日をバックに道にいる1人の少女
 
 さらに、石田氏のような障害を持つ子を生かしておく「自分勝手な人間」が増えた原因は、日本国憲法があるからだと言うのです。そして、次のように、自民党は「感謝の心を持てるように」するため、憲法改正をするのだと述べるのです。

 

こういう自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいである。自由を謳い、権利を行使しなくてよいという天賦人権論が日本人を堕落させたのである。だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出したのである。この憲法が通れば国民の血税を使っても他人に対する感謝の心を持てるようになるからだ

 
 最後は、以下のように締められています。

石田は都知事になりたいならば、子供なんかさっさと死なせるべきだ。そうしてこそ公務員としての資格がある。もちろん、こんなクズは落選させるのが国民の義務である。不倫男は政治家には不要、もしも何らかの天変地異が起きて都知事になったら、子供殺しと罵ってやればよいのである。

公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけないのか

 
 本筋からはそれるかもしれませんが、「公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない」と言うブログ主の主張に対しても、考えておきたいと思います。

シャネルニューヨーク店の入り口 壁は黒

 公務員に支払われる給与がいかほどが妥当かという問題はありますが、給与内であれば、何に使おうと個人の自由なはずです。箱根に週末温泉旅行に行こうが、鉄道の模型を集めて部屋を占拠しようが、仕事に支障がなければ、自分の得た賃金を何に使おうが勝手なはずです。このことは、公務員であろうがなかろうが同じです。誰かに無駄遣いを指摘されることはあってはならないですし、そこで言う無駄遣いは、いったい誰が無駄であると決めたのか、という話しにもなります。

 言うまでもないことですが、非難されるべきことは、他の使途がある公費を、自分のお金であるがごとく使う、政治資金の着服と流用であるはずです。正当に得た所得(生活保護や年金の受給を含む)を、何に使おうがそんなものはその人の自由であるはずなのです。

石田氏の子どもはダウン症なのか?

  
 私もこの記事を書くまでは、巷(ちまた)で言われている「石田氏と東尾理子氏との間に生まれた子どもはダウン症である」ということを、事実として鵜呑みにしていました。

 しかし、このような記事もあるようです。

「石田純一&東尾理子の子供の名前は理汰郎と青葉。ダウン症ではなかった。」

 この記事によると、

 妊娠中に定期検診を受けに行ったときに少ない確率ですが、医師から「ダウン症」の疑いがあると診断されたのです。

 そのことをブログに書いたため、反響が大きくなり、ネット上では勝手に「東尾理子の子どもはダウン症」というデマが広がってしまったのですね。
 

とあります。
 
 もちろん、この記事じたいの信ぴょう性の問題もありますが、少なくとも「石田氏の子どもはダウン症である」という断定は、私が犯していたのと同じく、思い込みに過ぎない可能性が高いです。むしろ、「子どもを殺せ」と言っているブログ主は憲法を毛嫌いしているため、石田氏が出馬の可能性を示唆したとき、とっさに「石田氏の子どもはダウン症」といううわさを利用しようと考えたのではないでしょうか。
 
 ただ一点、「ダウン症ではなかった」記事中にある、「東尾理子に対していろいろな批判も聞かれますが、まずは無事に健康な子供が産まれてよかったではありませんか!」という書き方には、違和感を覚えます。これでは、ダウン症として生まれた人たちは、無事でも健康でもないのか? と思わずにはいられません。たしかに、ダウン症が原因で身体的に病弱な方もいらっしゃいますが、こうした書き方は、「ダウン症ではなくてよかったね」というメッセージを暗に含むものではないでしょうか。私は、こうした批判は決して揚げ足取りではないと思っています。
 
 石田氏の子どもがダウン症であるというのも、どうやら事実ではないようです。事実をよく確かめずにブログに上げることは、とくに個人のブログではよくあることかもしれません。しかし、そうした歪曲した事実に基づいて、障害のある子どもを殺さなければ公務員になるなというのは、障害者差別以外の何物でもありません。これは、石田氏が都知事選立候補を取りやめた現在であっても言えることです。
 
 障害を持ちながら生きることは、障害のない生を生きるよりも、お金は必要ですし、お金を生みだすことも少ない、あるいは困難かもしれません。しかし、そうであったとしても、障害を持つ生命を殺してもかまわないという理由にはならないのです。障害を持つ生命がとくにその価値が低いといったことはないのです。障害を持つ子どもを生かしてきた親が、自分勝手であるとののしられる筋合いすらありません

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