この世で一番、哲学的なバイトとは。

霧のかかった大地 草に覆われているが空も何も見えない

僕のおじさん

 某大学を一カ月でやめ、田舎に帰って浪人をしていた頃、親戚のおじさんからあるバイトを頼まれた。今までのバイト人生を振り返ると、これが一番印象に残っているので、ここで紹介しよう。
 おじさんの仕事は建築・土木関係の手配師である。元来陽気な人柄で、子供の頃からなぜか大好きだった。「世紀の無責任男」とか「スーダラ節」で有名なコメディアン・植木等を知っているだろうか?いかりや長介のドリフターズのさらに一時代昔、お笑いグループ・クレイジーキャッツのメンバーである。おじさんは、そのテキトーさ加減が絶妙で、僕には植木等の姿と重なって見えていた。
 小学生の頃、おじさんと一緒に風呂に入った時のことだ。「アッチャン、これ!」と僕の目の前でケツを見せながら、「痔はつらいなあ」と大きく足を開いて笑うような、文字通り開けっぴろげで陽気なおじさんだった。

イランでバイト?

 おじさんには高校時代にもいろんな現場のアルバイトを紹介してもらった。建築現場の内装工事手伝い、高速道路のフェンス工事、駅の自転車置き場の工事などなど。高校を出たらイランの石油化学プラント建設の現場へ行ってみないか、なんていう話しもあったな。とにかくイランの現場に行けば、思い切り稼げるらしい。とにかくデカい仕事で、おじさんもできれば自ら行きたいらしい。その時は“いきなりイランはないだろう”と聞き流し、話はそれで終わった。しかし、そのプロジェクトはその後とんでもないことになっていく。
 プロジェクトは三井物産が中心となってイラン政府と日本の会社が合弁で大石油コンビナ−トを建設するという計画だった。そこでイラン・ジャパン石油会社(IJPC )が設立されたのは1973年。それ以降中東戦争勃発、第一次オイルショック(1973年)。翌年にイラン革命で建設工事は中止。イラン・イラク戦争勃発(1980年)でついに建設現場が砲撃を受け、結局プロジェクトそのものが消滅することになる。
 おじさんの夢はバラ色だったが、この大プロジェクトは大失敗に終わったのだった。
「アッチャン、危ないとこだったな! おじさんもよ〜、行かなくて良かったわ」

白い壁にあいた穴

穴を掘る

 さてさて、おじさんから頼まれた仕事は穴掘りだった。純粋にひたすら地面に穴を掘るという実にシンプルな作業である。現場は、家から原付で走って約1時間くらいだったか。道路沿いの広〜い空き地である。見渡す限り人家や商店は見えない。人の気配はまったくなく、ただ荒涼とした風景が広がるばかりのところ。おじさんからは、敷地を囲むフェンスを作るから、基礎を作るために5mおきに穴を掘ってほしい、と言われただけだ。大きなフェンスなので、穴も結構大きいものを掘らなくてはならないらしい。最初の日の朝、一つ目の穴を掘るところまでおじさんは一緒にいてくれたが、「じゃ、後はよろしく」とすぐに帰っていった。
 一人残された僕はすぐに二つ目の穴に取りかかった。全部でいくつ掘らないと行けないかは考えない。考えると気が遠くなってしまうから。道具はツルハシとシャベル。ただただ掘る。ツルハシで地面を掘り返し、シャベルで土を堀っていく。お腹がすいたら持参の弁当を食べる。食べ終わったらまた掘る。ひたすら掘る。日が暮れたら家に帰り、翌日は朝から現場へ。仕事中はいっさい人と会話することはない。このあたりには誰もいないのだからそうなる。連日、掘って掘って掘りまくり、腹が減ったら弁当を食べ、喉が渇いたら水を飲む。作業中は余計なことは一切考えない。他のことを考えていると怪我をする。
 誰もいない場所で、僕は孤独な作業を黙々と続けた。作業をする自分と、その自分を見つめる自分。なにか哲学めいた雰囲気が自分の中に醸し(かもし)出されて行く。余計なことは考えまいとするのだが、でも余計なことを考えてしまう自分。その自分とは何者か?その自分がいるこの世界とは?宇宙とは?時間とは?・・・
そして掘り続ける。
 

 作業は10日間続き、終わった。期限はなかったので作業が長引くだけ儲かるのだが、なぜか頑張ってしまった。理由はわからない。
 

 その後、大学へ入り直した。選んだのは哲学科だった。

(参考 植木等)

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