マタニティマークが付けられない―暴力の生まれる場所

妊娠して大きくなったお腹を出した女性

 仕事中、さぼってネットニュースをチェックするのが日課だが、先日、話題になっているこの記事を読んだときは、報告されている現状にさすがに目を疑う思いだった。
 
 街中や電車の中などで妊婦さんが攻撃の対象になるケースが急増していて、妊娠していることを示すマタニティマークが怖くて付けられないという事態にまでなっている、というのである。
 

『マタニティマークが付けられない…なぜ妊婦が萎縮する社会になったのか』

http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujimuramisato/20160530-00058227/
 

 しかし、これについて思うのは、むしろこんなことだ。
 

 人が、「弱者」と世間的に見なされているような人に向って攻撃的な態度に出るのには、何か特別な力が必要であると思う。
 

 日常のなかでたまっていく不満や不快が原因になって、他人に対していわれのない否定的な感情を持つことは誰にでもあるだろう。
 

 正直言えば、ぼくもしょっちゅうある。上の記事でいえば、電車で席に座っていて、目の前に「弱者」の人が立つとイラッとするなんてこともしょっちゅうだ。
 

 だが、それが他人に攻撃的な行為や言葉をぶつけることにすぐつながるかというと、そうでもない。
 

 といっても、そういう攻撃的(暴力的)な行動に出ることも、ぼくにはやはりあるのだ。
 
 だがそれは、「イラッと」することからただちにつながって出て来るのかというと、ちょっと違うように思う。
 
 
 つまり、ぼくは、他人に否定的な感情を抱くこともあるし、また(悪いことだが)攻撃的な行為や言葉を他人にぶつけることもある。しかし、この二つは必ずしも重なっていない、ということだ。

部屋の片隅に両耳を手でふさいだ少女がいて、片手にはピストルを握っている
 

 「イラッと」は、ふつうは抑え込まれている。そんな感情自体、もちろんよくないものではあるが、ただいくら積もり積もっても、それが凶暴な力になって他人に向っていくということはないように思う。それが、「感情」(内面性)というものであろう。
 
 否定的な感情が、攻撃的な行動(暴力や暴言)に直接つながるというものではない。
 

 そのことは、上の記事のなかでも述べられているように、「弱者」に対してそうした攻撃的行動に出る人が特定の階層や境遇に限らない(つまり、金持ちや上層の人でもそういう行動をとる)、という事実によって裏付けられるだろう。
 

 否定的な感情がそこにつながるためには、つまり他人に対する具体的な行動へと変身するためには、「外」の世界の力が要るのである。
 
 この「外」の世界の力というものが、どんな形をしていて、どういった働きをするものかを考えることも大切だろう。
 

 それは、まず普段から、現実の世界を形作り支配していて、制度とか暴力とか、言葉や文化とか、さまざまな形でぼくらの行動や考えを縛っている力だと思う。
 

 たとえば、ここで問題にしていることで言うと、この社会では、攻撃的な衝動や行動は、社会の中で「弱者」だと定められた相手に向けられることが自然な(当たり前な)ことだ、ということにされている。男性からすれば女性であり、健常者からすれば障害者であり、金持ちからすれば貧しい人たちであり、人間からすれば動物、といった具合である。
 

 そういう存在は、攻撃的な衝動の対象として、つまり物体のような存在として扱ってよいのだという社会一般の論理を、ぼくたちは知らない間に(日常においても)自分のなかに取りこんでいるのだ。
 

 そして、「感情」が攻撃的な「行動」に転じるのは、否定的な感情から生じる衝動を、現実に存在する他人にぶつけてもよいというゴーサインを、この社会一般の側が出した場合だと思う。上の記事に書かれているように、そのゴーサインの出る頻度がやたらに多い状況になっているのだとすると、今の社会は、目に見える暴力が横行しやすい状態になっているとは言えるだろう。それは、たしかに怖いことである。
 

 だが、根本的な問題は、他人や他の生き物を攻撃の対象にすることが当たり前だという「外」の世界の力と論理が、この社会を支配しているということであり、また、それをぼくら自身が自分のなかに取りこんでしまっているということだ
 
 こう考えてくると、この「外」の世界の力がじつは、否定的な感情(内面)を生みだす原因の一つになっていることが分かってくるのではないだろうか。
 
 これまで自分の感情や欲望(内面)だと思っていたものが、じつは外から押し付けられて、自分の一部だと思いこまされているに過ぎないものだということも、こうしてみると見えてくるのではないか。
 
 ぼくたちの否定的な感情の元になっている、その「外」の世界の力をちゃんと見つめ、向き合わなければ、暴力や差別に満ちたこの世界の仕組みから抜け出て、他人や他の生き物と対等に暮らす人生をつかむことは難しいと思うのである。
 

CC BY-NC-ND 4.0 This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivatives 4.0 International License.