「家族の絆」って言わないで 〜毒親を持って

一緒に眠っている犬と猫

 最近、「家族で助け合う」とか「家族の絆(きずな)」とかいうことばが目につくようになった。それを聞くとどぉーんと気持ちが暗くなるわたしが過去をふりかえってみる。
 

 母が死んで2年も経たない、14歳のある5月の日、珍しく家に帰ってきた父親が珍しく上機嫌で言った。「明日、パパのお友だちがくるから」。なんかイヤな予感がした。イヤな予感は的中して、翌日、おとなしそうに見える女性が玄関に立っていた。妹と目を交わし、お互い「まずいよね」と確認しあう。というのは、父親にはすでに母が生きているときからの愛人がいたからだ。でも、そんなことは口にはできない。殴られるから
 

 驚いたことにそのおとなしそうな女性は母の出身地の北海道のひとだった。いつのまに、どうやって親しくなったんだろ?疑問は口にできない。そして、おぞましいことに父親はその女性を母の両親、つまりわたしの祖父母のところにも連れていっているということがわかった。それを楽しげに語る父親にわたしは内心爆発寸前だった。娘が死んで2年も経っていないのに、娘の夫だった人物が女性を連れてくる。祖父母の気持ちはどんなものだったろう?いったい、何のためにそんなことをするのか、まったくわからない。祖父母も前からの愛人のことは知っている。
 

 でも、すべての疑問や怒りを押し殺して、その女性と一緒に食事をした。本当はその場をぶち壊したかったけれど、できなかった。殴られるから
この女性と前からの愛人は偶然同じ名前だったので、わたしたちは北海道のヨーコさん、東京のヨーコさんと呼ぶことにした。
 

 夏休みが近づいたある日、家に帰ってきた父親はわたしにいきなり「蒼、おまえたちは夏は北海道のおじいちゃんとおばあちゃんちで過ごす」と宣言した。なに、それ?友だちとプールに行く約束もあるし、他にもやりたいことがある。でも、問答無用。わたしの手には飛行機のチケットが渡され、北海道行きが決められた。

飛行機の翼の下にところどころ雲、そして海が広がっている
 

 空港の到着口から出たわたしと妹に手を振っている女性が目に入った。北海道のヨーコさんだった。思わず妹と目を合わせる。そういうことだったのか!北海道のヨーコさんは祖父母の家にわたしたちを送り届けてくれて、それから夏休みのあいだ、いろいろなところに連れだしてくれて、とても親切にしてくれた。祖父母もそれを快く受け入れていた。どうやら北海道のヨーコさんと父親が再婚すると祖父母は思っているらしいと気づいた。それで余計に気が重くなった。東京のヨーコさんの存在を知っているわたしがまるでだましているような気分になっていく。本当のことを言うか、言わないか。言うと父親の騒動のなかに巻き込まれてしまう。申し訳なく思いながら黙っているしかなかった。ひと夏を過ごし、わたしたちは東京へ戻った。

畑が広がる上に雲と青空 右手前に葉の茂った木
 

 秋。中間テストの前日だった。家に帰るとお手伝いさんが血相を変えてわたしをキッチンに呼んだ。そこには髪をふりみだし、泣いている北海道のヨーコさんがいた。東京のヨーコさんの存在がバレたのだった。北海道のヨーコさんはそれを知ると、朝イチの飛行機で東京にやってきた。靴も履いてなかった。そして、我が家に灯油をかけて火をつけようとしているところを近所のひとにみつけられたそうだ。血の気が引く。
 

 泣きじゃくっている北海道のヨーコさんをなだめ、話をずっと聞くこと2日間。父親は帰ってこなかった。誠意なんてものは持っていない男なのである。「ろくでなしの人間なの」とヨーコさんに言いたかったけれど、それは黙っていた。娘からも「ろくでなし」と言われるような男が好きになったということはさらに追い打ちをかけるようなものだと思ったので。北海道のヨーコさんはさんざん泣いて、恨みごとを言って、そして少し気が済んだのか、北海道に帰っていった。あとで聞いたところによると、その後、お金を渡してことをおさめたという。汚いなぁ。これでわたしの中間テストはぶっ飛んだ。(って、日頃から勉強してないけど)。振り返ると14歳でこういう役目をさせられたってひどいことだ。
 

 こういうエピソードはあと100個くらいある(笑)。
 

 この毒親と一緒に生きていては、自分が自分らしく生きれない。というか、生きていくのもイヤになる。高校時代の家出は失敗したけれど、大学進学で遠くに行くことで、わたしは父親との距離を置き、安心して生きられるようになった。父親の「鎖」からだいぶ自由になった。
 

 最後に父親と会ったのは社会人になってパートナーもできてやや経った頃。何かで呼びだされ、とうてい受け入れられないことを求められた(何だったのか忘れた)。わたしははっきりと「そんなことは引き受けられない」と拒絶した。パートナーもいるし、妹やそのカレシもいる席だったので、殴られないから。すると、「蒼、おまえとはもう縁を切る」と父親。わたしは内心嬉しくて、「それでいいから、その言葉を紙に書いて」と言うと、「◯月◯日をもって蒼とは絶縁する」と父親はわたしの手帳に書いた。これがわたしが持っている父親の最後の筆跡になった。「鎖」から完全に自由になれた気分は爽快だった。その数年後、独居していた父親はガンで比較的早く死んだ。
 

 わたしだけが特別、親で苦労したとは思ってない。もっとすさまじい暴力を受け続けているひとがいることを知っているし、一見何もなさそうに見えて親との葛藤(かっとう)を抱えているひともいる。
 

 親子は互いに選ぶことができない。そして、どうしても共に暮らすことが成り立たないこともある。毒親からは早くに逃げるにかぎる。そうできない小さなうちがもっともツライだろうと身にしみて思う。
 
 「家族の絆」を感じて生きるひとはそれでいいから、「家族の絆」を絶対のものとして誰にでも押しつけないでほしい。「絆」が「鎖」になって苦しんでいる子どもはたくさんいる。

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