街を行くたくさんの人びとのぼやけた写真

顔や名前を持った誰か

お客が店を出て行くと、ぼくはいつも思っていたことを口にした。

「さいきんマスクをする人が増えて困るね。『アイ・スイッチ』という煙草が欲しいのか、コーヒーの『アイス・1』が欲しいのか、わからないときがある。僕らはお客が何を言ったか聞き取りにくいとき、口の動きや表情から読み取ろうとするわけだが、マスクをしているとそれがわからなくなる。」
「ニコはずいぶんお客さんの顔を見るんだね。いいことだ。」

ぼくの言葉にランは興味深げに答えた。ぼく・古履ニコと、友人の住市ランは、どこにでもあるようなコンビニエンスストアの、どこにでもいるような深夜のアルバイトだ。

犬の正面からの顔(モノクロ)

「顔というのは、その人間が誰かを示すいちばんわかりやすい特徴をもつ部分だ。他人の顔に出会うということは、自分の外の世界、つまり世の中のその具体的な姿と出会うことということだからね。」
ぼくは少し考えたが、ランのいうことがすんなりとは飲み込めなかった。

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人が公共料金を支払うとき

深夜3時を過ぎるとさすがに客足も少なくなってくる。ランが商品の整理をしているそのとなりで、「もし真理というものがあるとしたら」と、僕はわざともったいぶった調子で言ってみた。
「そのひとつは、人は水道代や電気代を支払うとき、必ず口を閉じ、無言のまま決済をするということだ。」

ぼく・古履ニコと、友人の住市ランは、どこにでもあるようなコンビニエンスストアの、どこにでもいるような深夜のアルバイトだ。たまにお客のいないヒマな時間があくと、どうでもいい会話を交わす。ランと話すのはおもしろい。こちらの思いもよらないとっぴな答えが返ってくることがあるからだ。ランはうつむいたままの姿勢でこう言った。

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