この画像には、左右2枚の絵があり、そのどちらにも、子どもが3人立っており、塀の外から野球観戦をしています。子どもは、どちらも左から背の高い順に並んでいます。そこに、3つの木箱があり、左の絵ではそれぞれに1つずつ踏み台として与えられています。右の絵では、背の高い子どもには木箱はなく、中ぐらいの子どもには1つ、いちばん背の低い子には2つ与えられています。左の絵では、いちばん背の低い子は野球観戦ができない状態ですが、右の絵では、全員が野球観戦できる状態です。そして、木箱が同じ数与えられるがいちばん背の低い子が野球観戦できない左の絵の下には「平等」、与えられる木箱の数は違うが全員が野球観戦できる右の絵の下には「正義」と書かれています。

 平等ということばは、あらゆる領域で用いられます。
 男女の平等、外国人との平等、健常者と障害者との平等、など。
 そして、一度は何がどうなれば、平等な状態なのかという問いを考えたことがある方が多いのではないかと思います。
 また、平等を目の敵にするようなことも言われたりします。必要悪、あるいは悪平等などと言われたりもします。たとえば、被差別部落の改良住宅や、生活保護の受給などにも、そのようなことが言われたりします。男女の平等を、混合名簿にするなら混合風呂や混合トイレにしろなどと揶揄(やゆ)されたりもします。平等な社会を、自由な社会と対比させたうえで、平等とは個人の自由を奪っていくものであるという理解のされ方もします。
 平等とは、「何かと別の何かとを等しくする、あるいは等しく扱う」ことです。実は、そのようなことは多くの人がわかっているのではないでしょうか。だとすれば、ここで問題になるのは、平等そのものの意味ではなく、何と何とを等しくする(扱う)か、つまり平等の基準を問うていることになるのではないでしょうか。続きを読む